一噌 幸弘の事

 足立兄弟として、演奏してきた兄についで、長い間、そして多くの演奏を、共にしてきた、笛の一噌 幸弘氏。

 もう、お互いに、若い頃ほどは、演奏機会も自由が利かなくなったが、一昨日の晩、久しぶりに一緒に演奏した。独特のダジャレ、親父ギャグとも一風変わった、会話センスから、「MCさえなければ、彼は神」「曲間に火照った全身に冷水を浴びせられる様」或いは、「殺意とは、こう言うことかと知った…」とまで、熱心な(!)ファンに言わしめるほど。

 しかし、共演者として、いざ、音を合わせ、即興に入れば、これほどの語彙を有し、雄弁で、気働きがあり、しゃれっ気と気品、静謐と迫力を併せ持って、圧倒的に力強く心を打ってくる言葉としての「音」を、持っている演奏家を、他に知らない。

 こちらが、問いかけ、彼が応え、彼が仕掛けた受け応えに、音の会話は深まって、血はたぎり、制御の利かない世界の高みに、互いに放り出される。

 「音楽が始まると、何かが降りてくるんですよ」と彼は言う。はたで見ているものには、彼自身が「神」そのものなのであるのだが…。

 我が兄も、又、しかりではあるが、如才なく世事を切り盛りする会話の術など、持ち合わせて居ずとも、これが、天の采配と言うべき、別の才能として彼等が与えられた、表現の手段なのであろう。

 万葉以前の古から、言霊(ことだま)、言魂、などと言われて来たこの国で、かれらが天より与えられた、或いは生を受けるときに選択を迫られ、彼等が選び、獲得した物は、音霊(おとだま)とでも呼ばれるべき、一種変わった言葉の才では無かったのかと、思わずには居られないのだ。