キタヤマ・オ・サム

 精神科医、また、九州大学おいて、その専門分野で教鞭をとっていた、元フォーククルセイダーズ北山修氏。最後の授業と言う番組を見た。

 60年代後半に時代の寵児となった氏は、人気の頂点で、音楽、タレントの道を、いともあっさりと捨て、精神科医の道を歩み始める。その視点から、盟友、加藤和彦と共に、当時、司会を務めたラジオ番組への、リスナーからの投稿にも、独特な、受け答え、アドヴァイスも与えていた記憶がある。ベトナム戦争朝鮮半島の状況にも言及したり、若者の圧倒的な支持を受けつつも、マスコミの世界では、扱いにくい存在であった、と言う事も、あるいはあったのかも知れない。

 メッセージソングと言う堅苦しい印象を、加藤和彦の音楽的な素養とセンスが、実にうまく美しく昇華させた。小学生だったか、中学生になっていたか、当時聴いていたラジオの放送で、加藤和彦のギターで「アリスのレストラン」(アーロガスリー?)を原曲に、即興詩のスタイルで平和を訴えた生のパフォーマンスが忘れられない。

 その氏を送る演奏会が、九州大学の講堂のような所で催され、氏が送った詩に、学生が曲をつけ、演奏も行っていた。そしてその応援に駆けつけたのは、南こうせつ杉田二郎アルフィーの坂崎さん等、昔から縁薄からぬ人たち。

 曲はもちろん、「あの素晴らしい愛をもう一度」。

 母親は、消える物だ。だから、印象としての母親は、強く、長く、心に残るのだ、と言う言葉が、最後の授業の最後の言葉となった。