Martin O-45 1929

 普段、立ち寄る事も無い、都内K楽器に、ふらっと入リ、大変な数の在庫を一渡り見廻すと、そこに、見過ごす事の出来ない、一本のギターが有り、その前を動けなくなった。

 「昨日、入った(入荷した)ばかりです」と言う、傍らの店員さん。

 「写真で、何度か見た事がありますが、・・・実際に見るのは初めてです。・・・本当にあるんですね・・・」などと、素っ頓狂な言葉を口にしてしまった。

 米国マーティンギターの製作による、小ぶりのひょうたん型の胴、クラシックギターのような、ヘッド形状、ネックジョイントを持つ、type 0(タイプ オゥ・・・、又はダブルオゥか? ボディが小さくなるごとに、シングルOが000:トリプルオゥまで増えるらしい)。

 そして、各タイプ、グレードの最高峰、貝殻の装飾が、楽器全体、ふんだんに施された「45」モデル。戦前の最高の材と職人によって作られたものであることが、正札も無く、いや、果たして売り物であるのかも判らないまま、見て取れた。

 「売るんですか」という問いに、「198万程になると思います」と言う店員さん。自分にとってと言う意味ではなく、高騰を続け、製造年代と状態によっては、一千万を超える、ギブソンフェンダーエレキギターに較べ、その希少価値、コンディションを頭に入れれば、存外に安い感じがした。

 早速、弾かせてもらうと、鈴を転がすような美しい音色だが、ヴォリュームを感じないというイメージのあった(コンディション良く、50年程を経過した、米国製の鉄弦を張るギターで、Gibson, Guild, Epiphoneなどの各社製品と較べて、と言う事 )Martin社製品の中でもとりわけ共鳴部分である胴の小さなモデルであるこの楽器の、驚くほどの音量と、豊かで深く、かつ音程の極めて正確、美麗な音色に、改めて驚かずには居られなかった。

 試奏の最中、マーティン社の製品を網羅し、製造年代から出荷台数までをつぶさに知ることのできる本の中から、「1929年のこのタイプは20本しか作られていませんね」と、店員さんが、教えてくれる。何千本も、取り扱い、目にした経験のあるであろう、この店の担当者も「自分も(この年代の、この型は・・・)初めて見ました」とおっしゃる。

 美しい装飾と、80年を経過する、製造年代から、フレットをもつ楽器としての寿命を終えて、骨董、美術品として、又は、ミュージアムピースとして、飾られてもおかしくは無いほどの楽器であるのに、いやいや、現役も現役、こちらの指による爪弾きどころか、強いピッキングにも全く動じないで応え、たわみやくるいの感じられない堅牢な細工と、驚くべき音量、ありえないピッチに、狂おしいほどに高揚させられ、惹き込まれてしまう。

 19世紀に欧州から、ヴァイオリン族の楽器職人が、多く米国に渡ってきたという。本来習得した楽器製作の技術は、新しい天地で、より需要の多かったギター職人のそれへと、姿を変えていったのだろう。しかし、何と言う職人技であろうか。塗装のリフィニッシュ、磨耗の避けられないフレットの交換などは当然受けてきたであろうが、象牙の糸巻きなど、当時のままであろうことが知れ、その狂いの無さ、作動の滑らかさに、つい最近出来た楽器と錯覚してしまうほど。

 しかし、その楽器にこのふくよかで、限りなく深く、圧倒的な音量を与えたのは、やはり80年と言う、金銭では得られない、芳醇な時間である事は、疑う余地のない事である。

 円高の影響が産んだものか、この不思議な、貴重な楽器との対面に興奮覚めやらない。