価値観崩壊!

 小さな頃から、冷めたご飯が好きだ、と言うと、怪訝な顔をされつづけてきた。そりゃあ、納豆や生玉子をかけたり、うな丼なんて時には、熱いご飯に限るだろう。だけどさ、おにぎりやお寿司はどうよ?学校に持っていった、ご飯がぎゅうぎゅう詰まった、お弁当は不味かった?

 日曜朝の長寿番組、遠くへ行きたいで、紹介された阿蘇の農家。
「炊き立てのお米はどれも美味しい。勝負は冷めてからです」だって。  やった! 大賛成。

 お話変わって、自分の味覚に関する、権威主義にあきれた、ってのは、最近、新橋から有楽町までのガード下、回転寿司かな、と思って入った、立地やたたずまいから、カジュアルな感じのする寿司屋。ここの美味しさにびっくりした。ネタが新鮮なのは勿論、素晴らしいサイズと温度にまとめられた、マグロの各部位、歯を押し返すような、赤貝、つぶ貝、平貝、の歯応えと旨味。各地から届く、豊富な白身の魚は、僕など、聞いた事も無い種類も多く、どれも秀逸、あじわいもそれぞれで初体験の連続だった。

 煮貝、〆た青背の魚、山葵の質、お茶など、物足りない部分もありはするが、新鮮なネタの美味さ、甘さ、バリエーション、どれをとっても、この店のもの以上の物を頂いた事がなかったように思う。 そして、それに気付いたのは、去年の暮れ辺りから、昨日まで、4回足を運んだあとの事だった。それは、立地だの、外国人の多い、ファミレスのような雰囲気、壁に貼られた紙に手書きされた、お勧めメニューなどから、悪くは無いけど、自分の中の最高ランクに置くのは、如何な物か、という思い(偏見?)があったからである。

 同じような経験を続けてした。そのすし屋から程近い、一杯千円に近い、値段を取ろうという、高級?なコーヒー屋。美味そうなケーキも別腹、と思って注文。珈琲そのものが先ずぬるい。その朝、待ち合わせの時間調整に入って飲んだ、マクドナルドの珈琲の方が、香りが立っていたように感じたし、マカデミアンナッツが、ふんだんに乗っかったチョコレートケーキも悪くは無いが、先日、ココスというファミレスで頼んだ、濃厚チョコレートケーキという方が、ケーキ自体の味はだいぶ勝っていたように思った。

 さらに、決定的だったのは、大久保で、初めて、食べてみたホルモン焼きの美味しさだった。豚のこめかみやら、おっぱい、シマ腸と、見た事も聞いた事も無いようなメニューから、韓国人の留学生だという、若い従業員に、お勧めを聞きながら、注文をして、焼き加減も、手探りの、各部位を口に運べば、どれも濃厚な、甘味のある、味わいに、全く目からウロコの体験だった。


 ウ〜ン、高級な店やら、食材、味わいそのものが、イメージに左右されてたと、改めて思い知らされちゃったのだ!俺の口、可笑しい?