気付いていなかった
明日の正午、アナログ放送が終わって、このテレビが見られなくなり〜、というところで、我がベッドサイドのアナログテレヴィジョンは、その役目を終えた。
月曜早朝、なでしこたちが、世界一を決めたゲームをはじめた頃、父の姉である伯母が亡くなった事で、伯母が使っていたテレビが不要となって、僕が譲り受けた。その他に、大病を得た僕を気遣って、毎年、呉れていたお年玉。職にありついてからは、頂きに上がる事も憚られたので、貯めていて下さった五年分。今年の分は、袋に自分で書いてくれていた名前の文字も、間違っていた。
家内も働き、何とか、生活していけるほどの収入はあるのだから、地デジ化は、不可能、という訳ではなかったが、選択肢の無いのが嫌だ…。というのが、間際までアナログ放送から切り替えずにいた世間への言い訳であった。
そして今、ホテルのロビーや、空港で目にしていた、鮮明極まりない画像を、獲得するにいたり、自分でも気付いていなかった感情に気付いたのだ。
分不相応。
のんびりとした旅行、贅沢な食事、散財。どれも、世間の規模とは、比べるべくも無いほどの物ではあるが、収入に繋がらない自分の音楽、病気の為に、家族、親戚に与えた経済的な負担、天職とは、とうてい思えない、近所で得た職場の工場で、自分の演ずる、偽りの懸命さ。
説明しずらいのだが、この画像は、そんな自分の日常には、鮮明に過ぎ、不釣合い、分不相応と、感じられるのである。