MED (Medical Entertainment Design)をテーマにチーム医療推進全国

 先週末、偶然チャンネルを合わせたのは、脳科学者である、一人の女性が、自分自身の脳卒中の体験を、観客を前にして語る(!)場面。二時間ほどの番組に、プレゼンターが順次現れ、プレゼンテーション(大変興味深い…)を展開。僕が、間に合ったのは、最後に登壇した、その中年の女性脳科学者の話。

 ある朝、自分の手の動きに、いつもの感覚との違和感を覚え、意識も途絶えがちに。しかし、そこは、脳の専門医である彼女の事、すぐに、脳卒中(strokeと言ってたな…)と判り、左脳の側面の血管が破裂?出血して行く感じを捉えながらも、同時に、「まあ、脳卒中を内側から観察できるとは、なんて凄いチャンスかしら!」とも思っている、科学者としての自分も、明確に意識したのだそうだ。

 で、それは、一体、どんな感じかと言うと、右脳と左脳の働きが、交互に、切り替えのスイッチで、呼び出され、個別に意識されるようだと言う。

 そして、ひとたび、スイッチが左脳へ入った時の快感は、かつて無い程の物だったと言う。精神が完全に開放され、宙に放たれ、全てのしがらみは消えて、魂に完璧な自由をもたらす、のだそうだ。

 脳は、右と左の部分に分離され、各々の役割をになっている。と言うよりも、二つの全く違った性格の人を、脳内に同居させている、と考える方が、的確なのだと言う。

 感性の部分を司るのが左脳で、理論的な部分を担うのが右脳らしい。彼女の脳卒中は、左に来たんだな。手術後、献身的な看病をしてくれた母親に、キスする彼女の左側頭部、大きな縫合痕は、強烈に目に焼き付いた。

 そして、彼女のリアルな脳卒中体験の話は、時間の経過と供に、つぶさに伝えられる。

 同僚に電話をかけ、助けを呼ばなくっちゃ。とここまで考えるのにも、数分を要し、体の自由も徐々に奪われていく上に、整然と考えをまとめられるのは、個別にしか働かない、左右の脳の、右側にスイッチされているタイミングのみで、スイッチが左脳にある時は、戻る事が残念なほどの開放感に、喜びと供に浸る自分が居るのだ。そして、電話をするのに、電話番号を思い出せず、自室の一束の名刺を持ってくる。その中から研究室の物を探す、ほんの一束の名刺から、左右の脳のon,offの繰返しの中、それを探し当てるのに30分。やっと見つけた名刺の、電話番号をダイアルする。次の番号を見つけるときに、何処まで押したのか記憶できない。押した所まで、指で押え、隠しながら押そう。この辺が科学者の冷静な所だな。
そしてやっとの事で、一人の女性スタッフに電話はつながり、話そうとすれば、「フォンフォンフオmmフオm?」相手の言葉が、言葉として聴こえない。名乗ろうと、口を開けば、また「うぉんおんうおんおぉ?」と、こちらも言葉にならない。
しかし、事態を察してくれた女性スタッフによって、救急車が呼ばれ、緊急手術。事なきを得たのである。
全身の筋肉の自由を復活させ、脳のコントロールを蘇らせ、かつての記憶と、言語を取り戻すのに、十年弱を擁しての現在であるが、周囲の親切と、献身、労りと愛情に、深く感謝し、今有る自分の、存在と健康を考えれば、感極まり、涙とユーモアに溢れたプレゼンを終える彼女に、惜しみない、感動の拍手が、なかなか止もうとはしなかった。

 …ちょっと脳卒中体験してみたくなっちゃった。

話は違うが、6/23(土)足立兄弟、四谷のdoppo doppoで演奏予定。詳細未定。