また…

 テレビでオンエアのあった「千と千尋の神隠し」を見ちゃった。


 もう、何度も見た。

 特に心を奪われるのは、最初の方の場面、入り込んだ温泉街のような異空間は、八百万の神々が湯治に来る場所のようで、昼間は草原だが、夜になると、水が満ち、遠浅の海岸のように変わる。水辺を渡ってくる、その神々に供されるべく用意された食べ物に、憑かれたように喰らいつく千尋の両親が、豚に変えられ、あたりは、刻一刻、夕景から夜が更けていく。その心細い感じは、幼いころに、似たような場面を味わった事があるのだろうか、何か、胸が締め付けられるような気配が蘇るのだ。

 そして物語りもそろそろ終わりに近づき、千尋が水辺を走る電車に乗って、沼の底、と言う駅まで行くシーン。

http://www.youtube.com/watch?v=fdlgCMDrRTI&feature=related

 水辺の風景と人の行き来は、美しく、哀しく、切なく、懐かしい…言い換えられぬほどの、蘇る感情と記憶を呼び起こし、あげく、言葉など失うほどに味わい浸らされる。

 どこかで見たことがあるかも知れない、と誰もが思うような景色、場面を、映画を見るものに感じさせ、心象風景というのだろうか、記憶の奥底に眠る物を揺り起こされるように思う。

 何度か書いたり、話したりしたかも知れないが、演奏上の盟友、笛の一噌幸弘は、お能の音楽の演奏家であり、お能は幽玄の世界、現実と夢などの異空間との間(はざま)を表現した物、だという。この、映画を観た時の感じが、正にそんなふうだったものだから、この映画を観て。幽玄と言うのはこんな?と、聞いた。それに、すぐ応えるようにこの映画を観て来てくれた彼は「そうそう。こんな…」と言うのだった。