自分の作品は、嫌悪の集積・・・なんだろうなあ。

  説明不可能な事である。保存用のご飯を、宣伝するTVCMで、お終いに少し流れるだけの、♪〇〇〇のご〜は〜ん〜、と言う歌、そのコブシと言うのだろうか、民謡の、訛りのようなイントネーションに、総毛立つ程、嫌悪感を感じる。

 運が良ければ、同級生の女子たちの着物姿を見ることができ、その事は、夏の楽しみだった、中学生時代の街の盆踊り。

 優しかった母が、眉間に皺を寄せ、「いやだねえ、盆踊りなんて・・・」と、嫌がった。

 職業的に日本舞踊を教え、生業としていた母には、素人の基本のない、場合によっては、自己満足と思える、妙なシナを作って踊る、盆踊りの現場に、目的は大きく違っていても、息子が出かけていくことは、嫌だったのかも知れない。

 音楽を作る自分が、「実は俺は、音楽が嫌いなんじゃないだろうか?」と思うほどに、嫌いな、我慢のできない音楽家、音楽のジャンルが多い。

 患った白血病の、再発を治癒すべく、施された骨髄移植の影響か?、幾分、耐えられるようになった、音楽、演奏家などが、増えはしたのだが、それにしても、楽しめる音楽のいかに少ない事か。

 20年来の戦友とも言うべき、笛の一噌幸弘君の知己である、指揮者志望の男性は、嫌いな音楽があると、自分は何故その音楽が嫌いであるのか、何度もその曲を聴きなおし、突き止め、嫌悪感を排除していく努力をするのだという。

 うわあ〜!そんなの、俺、気が違っちゃうかも!