嘆きの記憶・・・

 音楽活動にまつわる、事務的な事柄を、我々、オバカ兄弟に成り代わり、お引き受けくださっている、奇特極まりない方の一人、Mさん。ご本業の会社勤めで、欧州への出張も、近年とても多く、ご趣味の美術館めぐりが高じ、美術館文芸員資格の試験を受けるのだと言う。「多寡を括ってたら、いっちばん簡単なのでも、聞いたことない作品や作風、作家も多くって・・・」と言う。

 「どんなの?」と訊ねれば、古代人が、洞窟に住んでいた頃の壁画から、現代アートと言われる物まで、おっそろしい守備範囲で、出題があるようだ。

 「何よ、この、ギリシア起源、我が国の仏像の表情にも伺える、かすかに笑ったような表現をなんというか、なんて、問題!?」 「アルカイックスマイルだろ?」と私。 「弥勒菩薩だか、半迦思惟像だか(後で調べたら、弥勒菩薩半迦思惟像と言う一体の仏像であった・・・)の仏像で、西方起源の様式って、覚えてない?」 「・・・、あら、良く知ってるわね、じゃこれは?ギリシア建築の特徴で、柱の真中辺りが、膨らんでるの?」  記憶を手繰り、ややあって、それは、エンタシスの柱!だ。と、思い出した。驚くMさん。自慢じゃないが、五分前に何を喰ったか忘れている私である。自信は無かったので、電話のネットで調べてみて?と言えば、  「有った!・・・エンタシスの柱、合ってる!」

 「じゃあね、最近の作家の問題ね、四択だけど、ビデオアートの先駆者・・・」「ナム ジュン パイクじゃないの?韓国の人で、教授や、ピーターガブリエルと作品作ってたジャン?」と、彼女が選択肢の四人の名前を読み上げる前に答えれば、「何でそんなの知ってるの?・・・」と、気味悪がられる始末。

 たまたま、知っていた問題を、彼女が質問しただけの事なのであるが、よくよくこの事態を考えてみて、愕然とするのだった。

 脳内、記憶の容量とでも言うのか、引出しには優先順位がついた記憶をしまってあって、容量一杯になれば、優先順位の低い記憶から、外に追い出され、廃棄されてしまう・・・らしい。僕も兄も、60年代70年代に起こった革命的なロック音楽、にまつわる演奏家の名前や曲目、風俗、また、その当時の日本の漫画家や作品、雑誌にまつわる事柄を、非常に良く記憶していて、ビックリされる事がある。

 それって、新しい情報が物凄く入って来てないってこと?そして我々の記憶って、その頃のロックやら漫画のほかの事は、無いに等しかったりするわけ?


 なんか、哀しくなってきた・・・アルカイックな私。