瞬殺?

 先日、トイレの神様というドラマで抜群の存在感を見せた、主人公の少女時代役を演じたのは、芦田愛奈ちゃんという、六歳の女の子。その子が、今年のNHK大河ドラマ「江-ごう-」で、浅井長政の長女、茶々の幼い時分も演じ、長政の妻、信長の実妹、市が、堕胎を試みようとした時、短刀を、更に幼い妹、初の、のど元に突きつけ、「ややを生かして下さい、殺すような事をすれば、初を殺して、私も死にます」と、母に迫る。 その、いたいけな熱といたたまれぬ覚悟溢れる演技に、秒殺ならぬ、瞬殺で、涙を溢れさせられた。

 瞬殺と言えば、先日亡くなった中村富十郎さんの追悼番組で偲んだ、在りし日の氏の「勧進帳」は、弁慶役。富樫、中村吉衛門とのやり取りで、八十に近い富十郎さんの声量は、吉衛門さんの倍もあるかのように感じられた。声量は振幅であって、小さな声で演じる時にさえ、澄んだ張りのある声は、大向こうまで届き、マックスに張り上げる、咆哮のように、轟かす声には劇場の隅々まで圧倒された事だろう。

 そして、最後の見せ場、通常の演出では、飛び六方で、花道を後にする弁慶だが、もう、足腰がそれを許さない、氏は、しかし、通常の六方に勝るとも劣らない、工夫と、芸の積み重ねに他ならぬ、存在感として、静かではあるが独特のすり足と足さばきで、演じきって見せた。

 歌舞伎などに縁浅からぬ家系に生まれ育った私は、強要された家業から、この国の芸能に嫌悪感以外のものを感じられなくなってしまって居たのだが、五十過ぎてからその気持ちが薄れ、ある程度は歌舞伎、能などにも興味を抱くようになってきてはいても、知識も観劇経験も無く、教育テレビで伝統芸能の番組を垣間見るほどなのではあるが、やはり、その場面一瞬で、涙は溢れ、止める事が難しかった。