違うもんだなあ…、そして同じなんだなあ。

 二種類の形状、二種類の素材で出来た、三つの物体を見せられる。真中に木目の円柱、その両端には、ブルーの、いかにもプラスティックな感じの素材で出来た円柱と、木目の四角柱がある。真中の木目の円柱と、同じグループに属するのは、左右どちらの物体であるか?と言う質問に、大雑把に分けたアジア人と、西洋人が答える。

 多くのアジア人は、素材の同じ、木目の四角柱を、そして、西洋人たちは、形の同じ、ブルーの円柱であると、応えるのだ。

 さらに三機のUFO(空飛ぶ円盤…アダムスキー型ってやつね)の絵。小さいのから、たて一列に、手前に向かって大きくなる(少なくも、僕にはそう見える・・・)絵であって、多くのアジア人は、これを、自分に向かって、飛んで来るようだ、と言い、西洋人の多くは、自分の方から、遠ざかり、飛び去るように見える、と答えるのだった。

へええ〜、違うもんなんだなあああ〜!

 その見方の違い、発想の違いは、如何にして生じるか。

 一つ目の質問は、物を見るときに数を常に意識する言語を持つ西洋人と、そうでない言語を使うアジア人との違いだと言う。

 古池や かわず飛び込む 水の音 と聞いて、西洋人は、池に飛び込んだ蛙は、何匹であるか、訊ねるそうだが、我々、アジアの言語を使うものには、自然と一匹の蛙が飛び込んだ音と解釈しうる感覚が備わってしまう。ゆえに、西洋人たちは、同じ形状の物を、素材に関わらず、先ず、カウントする(!)と言うのだ。

 二つ目の質問には、物事を現象として捉える時に、自分を中心にするのか、相手をその中心に据えるのか、という違いだと言う。

 新渡戸稲造氏の「武士道」。人に物を差し上げる時、「つまらないものですが」「ご笑納のほど」なあんか、言うねえ。自分は使わなくても、一世代前の人たちは、必ず言ったもんです。

 対して西洋の人たちは如何なるや!This is (especially) FOR YOU !なんぞと、満面のどや顔を持って、もうあなたのために選び抜いた、素敵な物、的な感じで贈り物をしはしまいか?

 この二つの対極的(と見えてしまう…)態度が、実は根源的に同じ物だという。

 あなたは素晴らしい。私にとって、大事な、美しい、尊敬に値する、偉大な存在である、と。そのあなたに較べれば、こんな物は取るに足らないものではあるけれど、私に出来る最上の事がこれであって、これを差し上げたいの思う・・・ってのが、日本的であって、自分サイドの至らなさを、献上の気持ちに置き換えて言うのだ、と。対して、西洋の人たちは、自分にとって、素晴らしいあなたに出来る最善の気持ちがこれである、と主張するのであって、元の気持ちは、東西に変りがないのだと、言っている。   


う〜〜〜む、なんである。