中学同窓の掲示板への書き込み 2

■だんちょね〜
adachikyodai
 一年前、八代亜紀さんが英語堪能であったなら、世界的な成功を収めていたろう、と、この掲示板に書いた。

 彼女がNew Yorkの老舗ジャズクラブ、Birdlandで、一晩のコンサートを開いた。僕だって知ってる、♪あめあめ ふれふれ もおっと 降れ〜 の唄を、アカペラで唄い始め、最初、食事を取りながらリラックスしていた、ほぼ現地人であろう観客達が、見も知らない日本人歌手の彼女の唄の魔力に、あっという間に惹きこまれていく様子が、手に取るよう。ラストの舟歌まで、70分、ピンドロップ(固唾を呑んで見守る観客の中で、縫い針を落とした微かな音さえ判るという賛辞の表現)!

 "She's the star!  Amazing !" 「ニューヨークにいるなら毎回見に来るわ!」「鳥肌がたったわ。凄い声!」そりゃ、そうだ。カーネギーだって不思議はない。

 20年前、女流詩人の友人が、N.Y.で褒章される折、勢いで、僕と兄の事をブッキングして来てしまった。せっかくだから、と出かけて行き、たまたま絵描きの従兄弟が開いた個展、ライブハウス等で演奏した。従兄弟の個展会場で、我々の演奏する、ほんの1m程のところで、一時間も立ったまま聴き続け、はにかみながら、握手を求めて来たアフリカ系の青年。ライブハウスでの演奏後、「凄かったわ、これ、おごり」と飲み物を差し出してくれたバーテンダーの綺麗な娘。次に出たバンドが、開口一番「すげえ兄弟だったな…俺たちはとってもあんな風に出来ないけど…」と言いながら演奏を始めた事。

 実りは大きくないけど、音楽好きの土地でのいい思い出。
2013/05/01 05:20

若冲が来てくれました
あだち
 伊東若冲の発掘者、琳派、江戸絵画の世界一とも言える個人コレクター、ジョープライス氏の収集品で、「若冲が来てくれました」という表題の展覧会が、被災地の仙台、岩手、福島で開催、巡回される。たくさんの動物と、巨大な白い象をモザイクで描いた、未来の映像を予知したような、若冲の作品、鈴木其一の最高傑作(と俺は思う…)なべづる。
 被災地を夫婦で見舞って、60年間日本の絵画から大きな喜びを頂いたから、何かお返しがしたいと思った、と、これを企画した氏のコレクションの始まりが面白い。

 父の仕事を20代で手伝い始めたプライスさんは、大きな仕事をこなし、そのボーナスとして、車を買ってもらうことになり、友人とNYに行く途中、なんとなく入った骨董商で、葡萄が描かれた、一幅の軸を見る。ホテルに帰った氏の頭をその軸が離れることはなく、店にとって返した氏は、その軸を、車の代わりに手に入れる。そこから始まった氏の絵画の収集は、後々、すべて日本の、江戸時代のものだと知る。若冲の傑作襖絵を図録で知った彼は、最初に訪れた骨董品店に「伊東若冲の作品があれば欲しいのだけど」と言えば、「あなたが最初に買ってくれた葡萄の軸が若冲ですよ」と。彼は自分の本能と審美眼で、日本の、江戸期の、とりわけ、日本では忘れ去られていた若冲の作品の素晴しさを嗅ぎ分けたのだった。
2013/04/21 22:25

■だまされたとおもって!
あだち
 あのね、コンビニで売ってるピザまんってあるじゃん?あれを、割に低温でじっくりと、皮がキツネ色になるまでサラダ油で揚げてみそ。こりはいけるっ!

ピロシキをイメージしたけど!

 イタリーに似たのがあるみたい。

 厄介になってる仕事場の経営者が、夕方おやつを差し入れてくれる。アメリカンドッグ、コロッケ、串カツ・・・。でも、食いきれないのだ!余って持ち帰る肉まんで、我が家のフリーザーは一杯。で、揚げてみたら息子も娘も喜んで食うのだね。餃子、シュウマイ、カレーパン、小龍包と、皮で包んで蒸したり焼いたりするモンは揚げてもおいしいじゃない?子供の頃、家庭画報見てお袋が作ってくれた肉まんの調理法…、油で揚げればピロシキになります、だってさ。
 今、娘からリクエスト多いのはカップヌードルで作るクリーミーなスパゲッティ風。は、恥ずい・・・。

※凄いな!お子さん達に料理とか作っちゃうんだね。揚げ物と聞くとビールが飲みたくなる〜串カツたまんないな! 僕は料理はしないけど毎年らっきょうを漬ける。今年も12キロ(笑)鹿児島に注文した。収穫は6月。細かく刻んで酢醤油と刻み昆布と鷹の爪。たまりません。

12キロっ!良いなあ。○○○(彼の娘)ちゃんに伝承してもらわないとなあ。最近じゃ、老夫婦の家じゃあ、ラッキョウを漬ける時、泥落しがきつくて、エシャロットを使っちゃうらしい。
2013/04/17 21:01

■マーガレットさんも聴いたかな・・・
あだち
 海外消費用ハイライト、当時120円を吸い尽くし、さて、何を吸ったもんか、と悩んだ'70年代終わりのロンドン。一箱500円〜?何だそりゃ、子供たちもタバコをタカってくるわけだな。

 「働くより生活保護を受けた方が身入りが良いんだ」パンクスも大勢残る、無気力な英国の若い奴ら。

 フォークランド紛争で、軍艦の需要から、にわかに雇用が増え、活気づいたのがリヴァプールなんかの造船の街。

 Elvis Costelloが書いてRobert Wyattが唄った Shipbuilding http://www.youtube.com/watch?v=B6T9qp9XbRY 

 悲しく切なく美しい世紀の名曲。
2013/04/11 06:37

 上の書き込みに友人のコメントがあって・・・ 不景気を一時的に打開する策が、軍需というのはたまらないけど、この曲の素晴しさは救い。借りたアパート(英国じゃフラットって言うね…)から、歩いて1〜2分のパブで、毎夜面白いバンドが3つくらい出て500円。ウィルコジョンソンなんか、有名どこがトリだと、750円。日本では、やっとのことで手に入れた、法外な値段のチケット握り締め、音楽なんか聞く環境とは程遠い野球場なんかで、雨風忍んで、何ヶ月も心待ちにしたあげく、ありがたく拝見する海外アーティストの公演との凄い違い。地元の奴らは「今夜は£1.50(750円)じゃやめとくよ」ぜ、贅沢う…!。まあ、毎晩足を運ぶ余裕は無いけど…。そんな小屋を、コステロは、三日間、1000円の前売り券でフルハウスにしてしまう。英米衛星で繋いだ We are the world ウェンブリーにアコギ一本で出てきたコステロはAll you need is love なんてかっこいい!

2013/04/13 21:00

■こ、こわいな
あだち
 御茶ノ水山の上ホテル。出版社が、長年、作家を缶詰にするのに利用してきた、有名なホテル。近年、井戸水の使用量をごまかして申告して、お咎めを受けたばかりで、今度は火災。コーヒーの美味いのも有名だったとこだから、井戸水なんか使って淹れてたのかもしれないけど、井戸水の使用量を申告って、何だよ、と思ってたんだった。

 川端康成さんだか池波正太郎さんだかの要望で、和室、畳敷きの上にベッドが置いてある。作品に集中する作家にとって、それは便利であったのかもしれないが、普通に泊まったら面食らう。

 世界に類の無いほどに充実した、楽器屋、書店街、かつては秋葉原の電気街、スキーやらスポーツ用品店なんかも多くあって、十代から足繁く通った、大好きなあの界隈。震災前の神戸にもよだれが出るほどの楽器をそろえる店があって、文化財級の多くの楽器が失われた。御茶ノ水にも、たくさんの素晴しい楽器や、二度と手に入らない書籍が山ほどある。

 うわあ、にわかに地震が怖ろしくなってきた。
2013/04/08 05:58

友人の一人ががんで亡くなった・・・
■また、会おう
あだち
 '72の夏、直人(亡くなった友人)や数人の級友と見に行った、英国のバンドJethro Tull初来日公演。昨年、○○(別の友人)に連れて行ってもらった、直人の病室で、「一番好きなバンドの、一番好きな曲って何なの?」という問いに「そりゃあ、TullのThick as a brickだよ」直人はちょっと考えてたけど、きっぱりと応えた。    嬉しかった。

 僕は、その時の彼らのパフォーマンスから得た衝動を糧に、いまだに演奏をし続けてる。ウィットと皮肉に溢れた、そのアルバムの、新聞仕立てのジャケットを、直人は一言一句訳していた。単なる流行りのポップグループの作品にとどまらず、我々に、一生味わえる、大きな影響と生き方の方向を与えてくれたんだな。

 直人、今月ジェスロタルは、Thick as a brick 全曲をやりに、来るんだぞ。

2013/04/03 20:36


■フキブリ
あだち
 ここのところ、風の強い日が続く。幾日かは、それに雨が混じる日も。「この吹き降りで…」と言ったり、メールをすれば、なんと言う字?なんて読むの?なんて聞かれるのだ。フキブリ…こんな日のこと、じゃあ、なんて言うの?と、聞き返せば、暴風雨?強風雨…?だって!なんだ、それ。

 大好きな落語という芸の名人で、好きにはなれなかったが、立川談志さんが、時折使った演出に、古典落語に出てくる言葉が現代には通じず、やりにくいという愚痴をこぼし始め、そのスパイラルに落ちていく、というのがあった。へっついだの、もっそう飯なんてのね。半鐘なんてのも、もはや通じまい。

 まあいいや。そのフキブリの合間の、暑いくらいな、春分の日、横須賀は浦賀にある、母方の菩提寺に墓参り。地下鉄と私鉄がつながり、横浜まで乗り換え無しでいける。これで、横浜の連中もわが街、和光市に来やすくなったなあ、と言えば、家族の誰も冷やかな受け応え。

 帰りには、横浜で降りて、夕飯の買い物と思ったのだが、あまりの様変わりにあぜんとするのみ。若い日の多くの時間を過ごした横浜は、いま、記憶と路線の駅名にしか名残を留めて居なかった。デパ地下で、洋菓子の(これも古いな)老舗、元町喜久屋の出店を見つけ、懐かしいタルトやシュークリームを買い込む最中、周囲に人だかりが出来る、今時のロールケーキやマカロンの出店の盛況と比べ、年配の従業員が一人で居る喜久屋を、自分たちにも重ね合わせて、少し寂しく思った。
2013/03/21 02:55

■黙示録
あだち
 昨夜見た番組、ウクライナのその後。チェルノブイリの事故を受けて、政府に避難を要請されるも、何人かは家に戻り、野菜を耕し、家畜を飼い、「調べていったから問題は無い…」という井戸水を飲みながら暮らしている。

旧約聖書に「空からニガヨモギが降り、川がその毒に満ち、1/3の人が死ぬだろう」とあるそうだ。

セシウムプルトニウムなどの量は、毎年調べるが、増減による一喜一憂は、毎年のことで安定せず、広大な土地に菜種やとうもろこしなど、放射線の影響を受け難い物を育て、家畜の餌とするそうだが、食物連鎖から、高濃度の体内蓄積は免れまい。立ち入り禁止地域を自由に行き来するのは、野生の動物たちだけ。

「私たちにそう長く時間が残っているわけじゃないから、ここに暮らすのよ」と言うおばあさんの住む家には、かつてそこに一緒に住んだ家族の写真がたくさん飾られている。「この子は86年4月26日、事故の日に生まれた孫よ。7歳で死んだわ…」

ニガヨモギはロシア語でチェルノブイリ
2013/03/18 06:26

■地の果て・・・?
あだち
 同窓の集まり、クラス会などに伺えば、必ずといっていいほどに、「まあ、遠いところから、ワザワザ…」と言ったご心配に預かる、我が住まい、埼玉は和光市
 
 所さんのダーツの矢は、その辺境の地に中ったのだと言う。

 しかし、その、半径300メートル?の円内(ドンピシャ我が愛犬のお散歩コース、白子川沿い…に、紹介するようなものなぞあるはずも無く、「何か面白いものを見つけてらっしゃい」という使命を帯びたスタッフは、そぞろ降る雪の中、途方にくれた。

 あげく、一軒の和菓子屋で、栗の形を模し、一粒の大振りな栗を入れた最中(美味そう!食ったこと無い)を、地元のばあさんからの情報でゲット、後は、その川沿いの住所が、東京、埼玉をめまぐるしく行ったり来たりする、謎の飛び地となったことの由来をリポートすることで事なきを得たのだった。

 この地に住まって30年。移り住んだこの土地の事、何にも知らないんだなあ。
2013/03/14 03:49

ご無沙汰いたしました

PCが壊れてしまって、ここへの書き込みがままならず、中学時代の同窓掲示板に書き込んだやつを抜粋、要約して載せてみる。拙文を楽しみにしていてくださった方が存外にいらっしゃったのは、ありがたくも意外だったのだ。

■様々な事情
あ・だ・ち
 今朝、仕事場に向かう途中、自転車を必死にこいで、急な上り坂を登る、妙齢の女性は、朝に似つかわしくない、長い裾のドレスをお召しだった。

 もう一人、交差点で自転車にまたがった男子高校生は、バナナの皮を剥いていたが、信号が変わると、それを食べながら、自転車をこぎ始めた。耳にはお約束のイヤフォン。

 …今朝は雨降り。2011/06/23

■わっしょい、わっしょい…
地デジに切り替わるTVの電波。携帯電話が増えすぎて、同周波数の帯域に余裕を持たせるため、なんて話のようだけど、ひどい迷惑。街に公衆電話が無いから、携帯電話も使うけどさ、やっと覚えたVHSの予約録画も、使用不可になって、ブルーレイだの、DVDだのを、ハードディスクに落としたものから焼いていく、という。そんなの、覚えられるか!
でも、後わずかで、TV見らんなくなんのは困るし、どの選択がいいか判んないし、お金はないし…。地デジサポートセンターに言ったら、簡易チューナーってのを送ってきて、試せという。

 設置が終わり、スイッチ入れて、最初に写ったのは、幼い美空ひばりの映画の、白黒映像。なんのこっちゃ!2011/06/18

 今読んでる本、英国で活躍中、話題のカズオイシグロさんは、広島の出身だけど、母国語は英語。だから、日本で出版されてんのは、訳書。モノローグはともかく、ダイアログは完全に英文の和訳であるのだ。設定、登場人物は、日本人であっても、だ。「すると、お前の言いたいことは、こう言うことだ、違うかね?」なあんて、非現実的な言い回しが、なんとも面白い。2011/06/08 07:05
 育った家では、七草粥、十五ん日粥(小豆を入れた奴)共に、薄い塩味で炊いて、お餅を入れ、砂糖をまぶして食った。結婚後は、僕以外の家族は塩味でそれを食う(餅も入れない)。

 七草の前日、♪ななくさなずな、とうとのとりが、わたらぬさきに すととんとんとんとん…という唄を唄いながら、まな板の上で草を刻んで置く。

 食べ方、唄、共に、変なの、気味悪っ!などと怪訝な顔をされるのには、もう何十年となく慣らされてきたのでなんともない。

 とうと、と記憶していたものは、どうやら唐土であって、渡り鳥が大陸から疫病,ウィルスなどを運んでくることがあって、それにひどい目にあった先祖が、教訓を込め、薬効を恃める草々に、その予防を託して食したのでは、と言う記述を偶然見つけた。http://victoria.iza.ne.jp/blog/entry/100753/

 これって鳥インフル
 ○○がコメントをくれて、誰でも知ってるジャズの名曲You'd be so nice to come home to を、若き日の大橋巨泉さんが訳し、それが誤訳であった事を初めて知った。巨泉さんが付けたタイトルが」¥帰ってくれたらうれしいわ・・・なんだって。遊び歩く夫?彼?が、まれに自分のところに帰ってくる事を喜ぶ女性の心情・・・と僕も思ってた。

 だけど、家に帰ってあなたがそこに居るのがうれしい、と言う曲だったんだね。しかも曲が使われた映画は&43年製作だから、太平洋戦争中。そんな背景もあって愛する人の待つ家に帰る、と言うのは、特別な意味があったのだろう。。http://www.geocities.jp/jazzinn5/youd_be_so_nice.html その事を書いた文章。

 八代亜紀さんをブルーノートの舞台に引っ張り上げたヘレンメリルさんが打ち合わせなんか不要だろう?と書いたのは、ヘレンさん、と言えば、この曲。この曲しか思い浮かばないほどにこのYou'd be so nice to・・・だから、と言う意味でした。

mon oncle

 モノンクル(仏語で僕のおじさん)と言う、30年も前の雑誌を、ネットで見つけて買った。

 伊丹十三氏責任編集、確か、隔月刊で、ポパイ、ブルータスと同サイズ、精神分析、心理学の領域の事柄を、噛み砕いた文章、相談者と複数の分析者とによる、インタヴュー、座談会、南伸坊氏等の独特、且つ的を射たイラストで、たのしく(相談者には申し訳ないが)進行する、興味尽きない内容だった。かつて、持っていた雑誌を一冊貸し、一冊進呈したりして、手元に無くなり、先日、その抜粋された内容の単行本「自分たちよ」を、図書館で見つけ、その内容の興味深さに、改めて惹かれたのである。

 6冊10000円(送料込み)。当時の値段一冊490円であって、僕には贅沢な感じの買い物だったが、その内容は、痺れるほど面白く、当時、20代の僕には、理解し得なかった多くの事柄が、今になって、眼前に迫るほどの現実感とともに、突きつけられるよう。

 読み進む内、伊丹十三氏、創刊号ゲスト、YMO当時の、坂本龍一氏等、汲めど尽きない知識、と教養を携えた面々は、揃って、今の自分より、大分年若であることに気づく。無論、彼らの洞察力、見識が30年の時間を経過し、自分より若年のあまりに、深みを減じているわけでは、けしてない。でも、対話の中で、何処まで自分のサイドに相手を引き寄せれば、相手が怒るかな、と言った若気の至り的な実験的発言も散見されて、面白いやら、年取った自分に呆れるやら、なのである。思えば、若い自分を叱ってくれたり、教示、指俊を与えてくれた人達は、最早亡く、存命であれば、かなりの高齢である事多く、いわんや、54で亡くなった母('12年現在、同い年…)などとは、同じ年代の目線を持ち得たと気づく事、しばしばである。

 日本人と欧米人の発想の違い、英語と日本語の用法、成り立ちの違い、意思の疎通の上で、首をひねらされてきた多くの疑問や食い違いを理路整然、氷解に導いてくれるコラムもあり、当時不可解とされた事件の数々(例えばパリ人肉食事件等)も、掘り下げ、究明を試みる。今、読んでも頷かされるどころか、僕は、一生涯、この本から学べる事を山ほど得たと感じ、不相応な出費を取るに足らないものと、納得できたのである。    超お薦めだ。

Jethro Tull

http://www.youtube.com/watch?v=vy4Bl2Z8n_c My Sunday Feeling - Jethro Tull

http://www.youtube.com/watch?v=8S-j_789Utc Jethro Tull - Minstrel in the Gallery complete - Live 1975

11〜12歳の多感な時期,彼等がいて、すごい物を,目の当たりに出来た。そして,ビートルズ,バッハ,ベートーベン,マクラフリン等,偉業を成し遂げた,多くの人達の仕事の凄さに触れた今も,当時の彼等は,僕の一番である事に変わりないなあ。

'72 Mahavishunu Orchestra

http://www.youtube.com/watch?v=OMTXjmVd6AI

いい時代になったもんだ。こんなのがエアコンの効いた部屋で楽しめる。
「我々の前に演奏した、ラビシャンカー、アララカ、もう一人…お名前聞き取れず…の音楽は、最も美しい物だ。彼等の後で演奏する事の誉れに感謝する。そして、我々のこの後の演奏を彼等に捧げる。彼等が与えてくれたインスピレーションに対しての感謝の気持ちだ…」

 す、凄いなあ。…今になって、彼等の凄さの片鱗を味わえるようになるとは、遅すぎ!

bunkamura ダヴィンチ展

 ダヴィンチ展、と言っても、お弟子さんや、フォロワー、モナリザの模写の数々、等が、かき集められ、ダヴィンチ自身の絵画、と言えるのは、展覧会のタイトルになってる、「ほつれ髪の女」だけ。

 モナリザの模写など、興味深く、もしかすると本人の作、と言う物など、ずっと見たかった物もあった。

 「ほつれ髪の女」だけ、とは書いたが、しかし、この小さなデッサンの雄弁さ、存在感、美は、サイズや彩色のなさなどを、超越して響き、他の陳列、言ってしまえば、既知の絵画の記憶を手繰り寄せたとしても、次元の違う、圧倒的なものに思われ、しばし、その前で唖然となって、見入ってしまった。

 もう一つ、ひどく興味を惹かれた物。後年の画家にる、ダヴィンチがモナリザを製作している模様を描いた絵、2作。制作室には、弟子や取り巻き達、大勢の人が見守って、楽師達が演奏さえしている。存命当時から人気があって、或いは、実際にそんな中で描いた事もあったのかもしれない。

 しかし、注目すべきは、ダヴィンチとモデルたる、ジョコンド夫人の位置である。ダヴィンチの前にある、製作中の肖像画は、もちろん現存するあのモナリザ。左肩が前面に出ている姿であるのだが、ダヴィンチと対峙する位置に描かれている夫人は、その正反対、我々の知っているあの絵の姿勢とは、逆向きで座っているのだ!

 手記の記述、デッサン脇に書かれた文字はご存知、右から左にかかれ、表裏逆になっている、鏡文字である。これは、内容を秘すため、ある種の脳疾患など、様々な憶測も飛び出す、氏の癖?習慣?あるいは、修練なのであろうが、まさか、モデルを右左逆に座らせて、描くとは!

 十代の頃、文章で、ダヴィンチは目に移っている物を、そのとおり描いた時に、絵に写し取られた対象物は、その時点で左右が逆転していて、それは本来の姿ではない、と言っていた、らしい。・・・だけどさっ!

 今月の10日に終っちゃうよ。

 1階で行われてる蜷川有紀さんの作品展も素晴らしかった。土屋アンナが主演した、花魁の映画さながらの、ヴィヴィッドな色彩で描かれた、シャガールを連想させる絵画、彫刻、オブジェの数々は、全く独特で、惹かれた。会場にご本人もいらして、なんて美しい方かとも思った。非凡!

 今月と言えば、足立兄弟6/23 四谷doppo doppoだ!